型に導かれて 教式の思い出 ③
芦田先生の著書で、私が第一に紹介する文章があります。この文章は私の心にストンと落ちました。それは、芦田教式は指導者と学習者の問答形式(「二とく」「六とく」)で進める一斉指導でありながら、学習者自らの主体性の確立が根幹にあったからです。以下その一部を記します。
『教授方法の研究もその本(もと)に帰つたら、(略)諸教授すべて一に帰するものであろう。
一とは何ぞ。児童の学習態度の確立である。発動的に学習する態度が定まれば、教授の能事は
こゝに終れるものといつてよい。こゝに到達する方法としては、勿論教授材料も必要である。
教授方法も工夫しなければならぬ。しかしそのいづれよりも、教師の態度が発動的でなければ
ならぬ。発動的ならぬ教師が、児童の発動的学習態度を定めようとしても、それは暗中に物を
探るようなものである。(略)』 (『読み方教授』より)
ここで述べられている『児童の発動的学習態度の確立』がとりもなおさず『教師の発動的態度の確立』にあるとの確信こそが、芦田教式(「読み方や綴り方」の指導法)となって集大成されていると私は捉えています。
芦田先生は、教式で指導者である私を育ててくださっていることを知りました。
兵庫 K.N