書くとは手で読むことである
昨年は七変化の教式の「一よむ」(2月)「二とく」(8月)を取り上げました。今年は「三よむ」「四かく」について話を続けることにしました。
① 書くとは手で読むことである。
「三よむ」「四かく」は同時に学習活動をします。「二とく」の「手引」にそって、子どもたちは教科書を黙読しながらノートに書きます。「手引」に従って本時の学習を深める語句や文章を視写します。視写することは「手で読むこと」であると教わりました。
新任のころの私は、なぜ視写することが読みを深めることにつながるのかなかなか分かりませんでした。視写をした語句や文章に、朱線を引いたり自分の考えや感想を書き入れたりすることが読み取ることと考えていました。
第1次指導(概観)の「四かく」では、語句や文を短く見つけ出し、文章理解の手掛かりとします。ここでも、なぜ短い語句や文章の一部を書くのか理解できませんでした。私は、文章を長く書くのが深い読み取りであるという観念に縛られていました。
私は、『見つけた語に意義を込めて書く』(※)ということを理解するのに長い時間がかかりました。
兵庫 K.N
※ (芦田恵之助先生没後七十年記念《教式の話》より『教式の話』笠原昭司)
・『手引の問題(㊟課題 K・N)の結晶として、文章からみつけて書くわけです。結晶というのは、文章を書き写すということではありません。みつけた語に意義をこめて書くわけです。』(P36)
・『(書いた語)は、手引の問題の結晶なわけです。この短い語に文章の中の多くの事実を結晶させたものなのです。』(P37)
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