出合いを喜びて 芦田教式の思い出 ①
私の芦田教式との出合いを決定づけたのは、竹田小学校で開催された国語教壇修養会での感動でした。会へは2度目の参加で、28歳の時でした。第80回国語教壇修養会(芦田先生30年忌、鈴木先生13回忌に教壇を献げる会)が、芦田先生の母校兵庫県市島町立竹田小学校(現丹波市立)で行われました。会期は昭和55年8月4日~7日で1日に4時間ずつ計16時間、1、2年は2時間ずつ、3~6年の各学年とも1教材を3時間ずつの授業がありました。
その時の印象は、目を見張る板書の美しさでした。そして、指導者の読みの深さでした。その問いの深さに引き込まれ、子どもたちと一緒になって答えている私がいました。4日間通して行う公開授業も初めてでした。これまでの国語研究会で味わったことのない授業風景にびっくりしました。
子どもたちが、静かな教室で、真剣な態度で学習に取り組んでいる姿を見て、深い感動を覚えました。芦田教式による指導は、見たところ、いわゆる一斉指導における「教師主導」的な、一問一答形式の指導法と変わりません。にもかかわらず、目を輝かせて学んでいる子どもたちを前にして私は、子どもを中心に据えた授業の在り方について新たな視点の転換に迫られました。
以来、会場は宮城県や岩手県が中心でしたが、夏休みと冬休みに行われる国語教壇修養会には、時間の許す限り参加しました。その魅力は、授業を通して教材の取り扱い方を具体的に学べることでした。
兵庫 K.N