…… 小学校の国語の授業を考える ……
芦田恵之助先生が随意選題で日本作文史上百八十度的転回を示して一大道標を打ちたてのは大正二年(1912)、
著者、数え年四十歳の時で、全国の国語教育界に大影響を与えた事実はもはや国語教育に従事するものには常識化しているが、
戦後、鶴見俊輔が岩波新書に「日本の思想」として久野収との共著で五編を収めた、
その第三が、日本のプラグマチズムの祖として、まず芦田恵之助をあげ、つぎに鈴木三重吉の「赤い鳥」を出して、第三に生活綴り方で、
一般思想界にも芦田の名は知られるようになった。 (解説と通史 古田 拡)
芦田恵之助 教式と教壇/綴り方教授 国語教育名著先週 明治図書 p321より
芦田恵之助 広辞苑 第6版
国語教育者。兵庫県生まれ。小学校教諭。国語読本の編集に当たる。綴り方教育・読み方教育に独自の理論を提唱。(1873~1951)。
いずみ会では、芦田先生の「綴り方教授」を鈴木佑治先生が整理してくださった「作文の指導」に沿って授業しています。
(作文の画像)
作文の学習会に、3年目と2年目の先生が来られました。
いずみ会百回記念誌から、作文のところを印刷して、読みました。
私も久しぶりに読み、勉強になりました。
批正の流れを資料にそって説明し、授業の内容を話し合いました。
授業した先生からは、「それぞれの手順をどのように扱ったらいいのか」と質問されました。
2年目の先生が「聴写という言葉も初めて聞きました」とビックリされていました。
「作文は、まず、子どもの作品を何回も読んでやることが大切である」と話しました。
私自身がずっと教式に取り組んできたのは、「授業で子どもを育てていくことを学ばせてもらったからだ」と思います。 (島根の会員 LINEより)