6月の話題 1

作  文

  文学は、もの言わぬ神の意思に言葉を与えることだ。       芹沢光治良

国民的作家芹沢の文学に対する立言である。
 以前、小学校の「学習指導要領」国語では作文に、三分の一の時間を取るよう記載されていたと記憶するが、今はどうなっているかと、老教師は思う次第である。
 芹沢の『人間の運命』Ⅶ巻に

「小説家だから言うのではなくて、人間は男女とも、一生文字で自己表現しなければならないが、小学校時代に作文で叩き込まれたのと、そうでないのとでは、大変な相違が出ますから … そればかりではなくて、アメリカの占領がどれ程続くか分からないが … 占領軍が、教育について色々、指令をして、日本人を変えようとしているが、必ず国語に手をつけたり、小学生に国語を軽んじさせて、学童の心を日本人でなくさせようとすると思うが … それに抵抗して日本人の心を失わせないためには、国語教育しかないと思うので、作文に熱心な先生を、是非雇ってくださいませんか」

という、一説があるが、母国語を大切にすることにおいて、アルフォンス・ドーデの、「最後の授業」と、相共通するものがあると考えるのは筆者だけではないと思う。
 そのかみ、芦田恵之助先生は「自由選題」を提唱され、現在も作文教育はその道を辿っていると思う。が、
「絵に描いた餅は食えない」
で、先生方の実践に期待するところ大である。記述させ、その作品を読む事は、大変な労力を要すると思うが、
「はじめに言葉あり、言葉は神とともにあり、言葉は神なりき」(聖書ヨハネ伝第一章)
「トライハード」どうか、子どもたちのため険しくとも尊い道を踏んで頂きたいとと念じております。
        京都 A.T

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