6月の話題 3

修業と修行

 かって、「いずみ会」の先達から、修業と修行の2つの、シュギョウがあり、
私たちは、修行(卒業のない)です
と、教えられたことがある。
 厳しいことで知られるシュギョウに「禅」がある。
 沢木興道という禅僧がおられ、寺を持たず「宿なし興道」といって、一所に安住する事を、潔しとされなかった。
 尼僧で、青山俊董という方がおられ、その沢木老師に15年間師事された。沢木師の没後、余語翠巌老師に、25年就かれた。
 余語老師の言葉に
真理は一つ、切り口の違いで争わぬ
という教えがあり、
円筒形の茶筒を横に切ったら、切り口は、丸くなり、縦に切ったら、矩形(長方形)に、斜めに切ったら楕円になる。茶筒全体の姿、つまり【真理】は一つという姿を見ることが出来ず、切り口しか見ていない自分に、先ずは気づかなければならない
と、指導され、今もシュギョウを重ねられている。92歳の春を迎えられている青山師は、『論語』や『聖書』にも学び、さらには村上和雄先生のものにも、親しんでおられるという、多角的にして大変な勉強家である。
明日死ぬかのように生き、
 永遠に生きるかのように学ぶ

と言ったのは、ガンジーであるが、いつ死んでもよい
今日只今】 の生き方の覚悟と、永遠に生きるかのように学ぶ誓願のもとに、私共は、至らぬまでも、心して【修行】したいものである。
        京都   A.T