教 聖 芦 田 恵 之 助 先 生
昭和48年の初秋、「大阪恵雨会」の林田勝四郎先生の『千林通信』に芦田先生の愛敬という一文が掲載されていた。
愛 敬( あいぎょう )
若し教師が求むるままに、一心に読み、一心に聴き、一心に話し、一心に綴り、一心に書く子がありとしたら、師はそれを他人と思われましょうか。その間に燃ゆるような愛情を感じないでいられましょうか。愛すると共に、深く尊敬しないでいられましょうか。師の愛敬を受けて育つ児童が、師に愛敬を捧げないものがありましょうか。私はこうした空気の教室が出来ることを祈ります。若しこうした学校が出現しましたら、国民教育の実はそこから挙がって来るのではありますまいか。
『国語教育易行道』「易行道の行者に」ー昭和10年刊ー
一読して、これはただならぬ立言だと感じ林田先生に電話したところ、
「それは、芦田恵(え)之助先生の言葉です」
と、教えられた。不肖は、芦田恵(けい)之助と、読み方さえも知らぬ門外漢であったことを恥じた。
昭和50年4月、東京足立区の新任教師として教壇に立ち、9月、桃井第一小学校長助松太三先生の門を叩き、「いずみ会」に入門、至らぬままに半世紀に及ぶまでになった。師の道と一筋につながった教師生活を感謝と共に振り返る今日である。
担当 京都 A.T