12月の話題 3

学びの基礎・基本を考える 3

 読みの指導では、毎時間、全文を席順に音読する。(20分以上かかる長文の場合は、範囲を限定するが。)教師が決めた区画に沿って機械的に割り振る。すると、読めない子に当たったらどうするのか、と質問してくる方がおられるが、鈴木佑治先生は、先生が口伝えをしながら読ませるのだと応えている。先生の仕事は、どの子も国語の授業が分かるようにさせることである。出来なければ手伝うのが先生の飯の種だとも話しておられる。
 すると、子どもを怠けさせることにならいかと詰問する教員もいる。子どもは育とうという心を持っているのだから、いつまでも先生のお世話になるのは、と考えるものだから心配いらないと笑顔でお答になられたようだ。
 どの子の精一杯も認めることである。ここに、教師が育つ種があるのだ、と私は思う。
 読むときの注文は、「大きな声でゆっくり」である。そして聞き手にも、本を持ち黙って静かに聞くようにと指示する。すると、一生懸命に音読する子とそれをしっかり聞こうとするようになり、学級に「安心感が生れ、今もっている力を精一杯だせばよいのだ」という雰囲気が醸し出される。
 みんなの前で音読することは、経験を積まないと出来るようになるものではない。どの子にもこの力を付けることは、国語科指導の初めであり到達点でもある。また、文字で書かれた文章を先に発達している耳の力を借りて内容の理会を図るのである。
 教式では、この音読を「一よむ」「五よむ」「七よむ」で行うのである。「一よむ」の力を育てるために「五よむ」があり、全員で教師の鞭の動きに合わせて読むことを4年生まで続ける。5年以上は、「一よむ」の続きの順繰り読みをさせる。「七よむ」は、授業を振り返りながら板書を教師の鞭に合わせで音読する。
  音読が、国語科指導の基礎として大事なことのように思いますが、いかがでしょうか。
       東京  K.T

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