芦田恵之助先生の「教壇行脚」より その2
─大内順男先生と笠原昭司先生─
(昭和8年)5月31日 6月1日 岩出山小学校にいて、いろいろな学級を手伝った。
大内君の尋常1学年をかりて取扱ってみたが、1学年でも導き方によっては、こうも育つものかと思われる程、よく育っていた。私の最も嬉しく感じた事は、優中劣が夫々に自覚を持っているような姿で、丹念に学習していることだった。尋1の認識不足から、入学当初にとんでもない取扱いをして、あたら小学時代を悲しい運命に葬る者が決して少なくないと思う。そうした人々に、一度大内君の組の育ちを見せてやりたいと思う。 (全集22 P.314より抜粋)
芦田先生が激賞されている「大内君」は、間違いなく大内順男先生である。この尋1の学級の児童として、笠原昭司先生(昭和2年生まれ)がおられたのではなかろうか。
「戦前、芦田先生に師事されたかたは、日本全国に大ぜいおられました。私の小学校1年生の時の恩師大内順男先生もそのひとりです。大内先生は、1年生の私たちを精魂込めて教えて下さいました。私は1年生当時のプリントを全部大事に保存しています。これを見ますと如何に丹念に教えて下さったかがよく分かります。きっと、芦田先生から教えを受けた1年生入門期の教式を真剣に実践なさっておられたのだと思います。」(第118回国語教壇修養会筆録 笠原先生の「芦田先生を語る」より)
笠原先生は昭和23年、当時大内先生が校長をしていた母校岩出山小学校に新任教師として着任。翌年来校され、笠原先生が担任する6年生で授業をされた芦田先生と出会われた。それが芦田先生との最初で最後の出会いであったと書いておられるが…………。最初の出会いが尋1のときでは?
ちなみに、笠原先生は1年生のときに教わった教科書を全て暗唱・暗写できると話されていた。
岩手 Masa.K
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