教材を読む その4
笠原昭司先生の感想文 第90回国語教壇修養会(昭60.7 岩手県岩手町立一方井小)の筆録より
「やまなし」を扱って
○ よい教材とは、読めば読むほど味のある教材であると言えましょう。
○ 「若い先生方は、『やまなし』は教材としてはつまらないから、改訂の時は、はずしてしまえと言います。けれども、子どもたちは、あの教材が好きで、喜んで読みます。」と、ある教科書屋さんが話していました。
宮澤賢治は、このことを、童話集「注文の多い料理店」の刊行趣意書にはっきりと述べておられます。
……これらは決して偽りでも仮空でも窃盗でもない。多少の再度の内省と分析とはあっても、たしかにこの通りその心象の中に現れたものである。故にそれは、どんなに馬鹿げていても、難解でも必ず心の深部において万人の共通である。卑怯な成人達に畢竟不可解なだけである。……
この刊行趣意書を読むと、宮澤賢治は、童話の値打ちがわかるのは、子どもであろうと、すでに発刊の前から予言なさっているわけです。
○ さて、教材の読み方について、私の考えを述べてみたいと思います。
児童は作品にそのまま対し、素直な心で読み、作品の本質に迫り、その本質に触れます。
成人である教師は、文章の事実を読みとることは児童と同様でしょうが、それと同時に、その周辺や背景なども併せてさぐり、作品を読もうとする傾向があります。また、文章を分析したりして、第三層を求めようとする傾向があります。ある場合には、作品を、あるひとつの自分の片寄った考えのもとに読みとろうとします。
宮澤賢治がいつも望んでおられたのは、言うまでもなく、児童の読み方であったと思います。
○ 私たち教師は、子どもと同じ立場に立って、作品をそのまま読みとり、素直な心で作品の本質に触れることに努めなければならないと思います。
○ このごろ、教科書教材を、何度も何度も読み返し、教材の心を読みとることに努めない教師が増えてきているのではないかと思います。
芦田先生は、教材は児童の心を育てるものであり、「読本は、国民の経典である。」とおっしゃっています。経典ならば、暗誦し、暗写し、心の糧としなければなりません。
私(Masa)も、教材を読み返し、教材の心を読みとることに努めない教師の一人でした。「教材を読む」大切さを実感している今、教壇がようやく進み始めたように思います。子どものように素直な心で、文章の本質に触れるような読みまでにはなかなか到らない私ですが、地上1粍の向上を楽しみに、これからも努力しようと思います。
岩手 Masa.K