4月の話題 3

鈴木佑治先生(その3)

   「鈴木祐治先生の御教壇」    宇津宮 新 先生

 鈴木先生の御教壇は、子供にたいへんわかりやすいものです。拝見する私共にとっては、探り得なかった文章の深さを教えて戴けるものです。二重、三重に重なってぼんやり映っていたところが、単純化して、鮮やかにわかるようになります。簡素で深いものを、平易な流れに乗せられているからです。また子供にときほぐす方法に、その都度新しい御工夫が盛られ、時に卓抜した御着想が示されます。その上教材の持つ個性が、そのまま御教壇の空気となって子供達を包みます。どの子供も活発に考えるようになりますが、不思議なことに、劣等児と言われる子供が眼を輝かせて勉強します。
 先生は昭和35年春より、道の弘通(ぐずう)を念願とし、全国に教壇遊行を始められました。御遊行の足跡は先師(芦田恵之助先生)には遠く及びませんが、東北関東を始め、東海・山陽・山陰・四国・九州と、全く寧日のないありさまです。各地では、先師の再来かとたいへん喜ばれております。
 鈴木先生は、昭和40年に島根県浜田市立原井小学校で行われた第49回教壇修養会で、次のことを申されました。
「私のやっていること、言っていることは凡て芦田先生のお書きになった本の中に書いてあります。それから一歩も出ていません。出ようともしないのです。
 私が先生のどこまで到達したかはわかりません。先生は非常に奥深い方で、私がどんなに一所懸命やっても、先生の道のほんのわずかしか前進しておりません。しかし、ただうれしいことは、それからはずれていないということです。」          (芦田恵之助先生選集 跋文より抜粋)

 宇津宮新先生は青森県の方で、いずみ会の初代会長です。この文章は、鈴木佑治先生が亡くなられる約7ヶ月前の昭和42年7月に書かれたものです。    
        宮城県 M.K