鈴木佑治先生(その2)
「百回を振り返って」 助松太三 先生
鈴木佑治先生の御入院生活の時期は、第56回、第57回の教壇修養会と重なります。第58回は、原町市立原町第一小学校でした。昭和43年3月27日から29日までの会でありました。先生はその春の会を、「全快記念の会にしたい。」と考えておられました。42年の秋に書かれた病床日記には、「教壇の勘を取り戻す間に。筆録により過去の教壇の勉強をする・柳多留拾遺により川柳の勉強をする・道友から壇の報告を受ける」と書かれてありますから、春の会の準備をされていらっしゃったと思われます。しかし、病は篤く2月25日に亡くなられました。
その御病床の先生に、私は今も、毎日、心を強く揺り動かされています。御入院生活約300日余り、薬袋を切って綴られた手製の帳面に、病床日記を書き記されておられました。書かれていることは、教式・教壇・いずみ会と教育に関するお考えのみです。その中心となるものは、教式・教壇の改訂版の御工夫であろうと思われます。初学の者への御工夫もあります。道を修する手掛かりとなるように、その緒を示されています。先生は、進歩のみお考えです。よく言われていた「人間には、進歩と退歩しかない。」とのお言葉が浮かびます。
「斯の道はいつか来た道。心身共に楽しい思い出の道だったか・しまった又あの悪路に来てしまったという道だったか・印象の薄い淡い思い出しかなかった道か・第一の記憶よりも第二の記憶の方が意外に多いものだ・基督は『謬って再び罪を犯すこと勿れ』と教えているが凡人の悲しさ同じ失敗の繰り返しが意外に多い・それを最小限度にくい止める工夫は深い反省と細心な立案及び真剣な登壇以外にないことを自覚せねばならぬ。」
このお言葉を道友に話したら、鈴木先生がそのように失敗の繰り返しなどをおっしゃっているのですかと、びっくりしていました。
「寝ても覚めても教育のことばかり、教壇のことばかり考えているのだからいくら遅進児でも少しは進歩がある筈だ・一つのことに生涯を打ち込む楽しさを有縁の方に知らせてあげ度い……こつこつと永続したらどんなに天分の薄い人でもきっとものになる。」
とも書かれています。鈍き者は永続あるのみです。 (いずみ会百回記念誌より)
助松太三先生は、いずみ会の第三代会長です。ご専門は体育と伺っており、背の高い堂々とした方でした。教育祭などで興が乗ると少し調子の外れた「サンタルチア」を歌われる楽しい先生でもありました。
宮城県 M.K