分け入っても、分け入っても……
標題は漂泊の俳人と呼ばれる、種田山頭火の句からとりました。
分け入っても 分け入っても 青い山
この句は、若い時から心に刻まれているのですが、教式を学び始めてから、特に大切にしています。
山頭火は山口県防府市の「大種田」と呼ばれる大地主の家に生まれました。しかし、家は没落し、鉄鉢一つを持って、行乞の旅に生き、俳句を詠みました。私はこの句から、道はどこまでも続く、求めれば求める程はるか彼方に続くと教えられているように思います。
先師芦田先生は、釈迦の授業を86回されましたが、一つとして同じ案でした事はないと話しておられます。又、先達の筆録にも、同じ教材を扱われたものがありますが、内容は違います。第一次指導の〈二とく〉の扱いがより単純化・具体化されています。安達孝之介先生の「ヒロシマのうた」(第118回と第125回)を読むと、さらに高みを目ざして歩まれていることが、よくわかります。
私の書の師が、「棺桶に片足を突っ込んでいても、良い字を書きたいと思う」といわれましたが、道は違っても、根本は同じだと痛感しました。
島根 Ⅿ.N
* 書の師、森須園先生は、昨年10月、お浄土へ旅立たれました。