鈴木佑治先生(その4)
「師のご教壇」 佐々木秀也 先生
師、鈴木佑治先生がお元気でおられた頃、国語教壇修養会は、夏の会、冬の会、春の会と年3回行われていました。師はこの修養会のたびに必ず教壇に立たれ、先師の道の奥義を具体的に示してお導きくださいました。
筆録を取りながら拝見するのですが、師のご教壇に魅了されて、筆録することを忘れてしまうことがよくありました。これはどなたも経験されたことと思います。
最近、師のご教壇を録音したテープを再生して鑑賞することがありますが、その都度深い感銘が甦ってきます。
一、問の構成
国語教壇における教師の問は究めて重要であり、その教壇の成否は発問の適否にかかっていると言えるでしょう。師のご教壇で感動するのは、やはり第一に発問の素晴らしさです。一つ一つの発問が第三層に根ざした深みのある問であると同時に、第一時、第二時と展開するにつれて、その組立て、構成の素晴らしさに感嘆させられるのです。
二、問の表現
授業における教師の発問、説話、指示等の言葉は明快でなければなりません。無駄な言葉を省き、的確で、簡明な話し方をするように心がける必要があります。
師のご教壇を拝見して、この問の表現の的確さ、即応の妙を発揮されるので、吸いこまれるように魅了されるのです。これは筆録を味読することによっても鑑賞できます。
三、問の間合い
問の間合いは大変微妙なもので、長すぎると授業がだれて、流れがよどみ、盛り上がりません。短すぎると単調になり、回転の早い子どもだけを相手にすることになって、具合が悪いのです。
師のご教壇では、この間合いが実に絶妙で、味わい深いものでした。第一次の「山」第二次の「心」のお取り扱いにおける問の間合いに緩急の変化があり、それが教壇を盛り上げる大きな要素にもなっていたと思います。
四、問の表情
師のご教壇で特に印象深いのは、教材の持つ雰囲気に即した表情(顔の表情、声の表情)をなさるということでした。登場人物のその時の心情を表現されながら問いかけ、答えを受け取り、補説して教壇の雰囲気を盛り上げられました。これは筆録だけでは味わえない部分かと思います。
師のご教壇の周辺的な部分の思い出だけ述べて恐縮ですが、師のご教壇はどの部分にスポットを当ててみても、文章の第三層の理会に深く結びついているものであったこと、強調しておきたいと思います。 (いずみ会百回記念誌より)
佐々木秀也先生は岩手県の先達で、「音読指導について」及び「教師の発問について」という、わかりやすい資料を残しておられます。
宮城県 M.K