7月の話題 3

筆録「ブレーメンのがくたい」を読む 

◎ ひびき

 前の2問は、すでに「ひびき」の要素をもっていると言ったが、純然たる「ひびき」の扱いは、次の2問であると言える。
「さあ、この4匹が「がくたい」をやろうということになって、一番先に誰に聞かせたの。」
「素晴らしい音楽だなあと聞いたか。」
この2問によって、この文の最も印象の強いところ、ひびきの強いところが扱われている。師の壇を拝見すると、この文章の、印象のとらえ方が非常に自然で、無理がなく、何のへんてつもないように思う方もあるかも知れない。が、このように、適確に読みぬくことが、いかに難しいものであるか、言葉に尽くせないものがある。
 小学校3年生の教材を、読めない筈はない。一字一句、暗誦することもできないことはない。まして、文の印象の強いところがどこかということは、わからない筈はない。だが、何故それがうまくできないのか。結局それは、子どもが観えてないからである。文章を、子どもの上に読まなければならない。文章に対する子どもの感受性と、教師のそれにズレがあってはならない。子どもの心の眼で、文を読まなければこのひびきの扱いがうまくいかない。ここに難しさがある。一見、何のへんてつもないように思われる師のご教壇を観て感嘆し、ため息をもらすのはこの事である。中略
 師の教えを思い出す。
二とくでは、事実を扱うのではない。文章を読んで、ピンとひびいたものを扱えばよいのだ。
このことは、立案の原則として、忘れたことはない。しかし、それは、あまりにも自己流の解釈であった。「二とく」は、文章を概観する気持ちで扱ってはならない。文章の印象を話し合うのだと、再び自分に言いきかせている。(以下略)

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