6月の話題 3 戦争教材の扱い方

「一つの花」笠原先生の口述筆記より抜粋
(第3回土曜会 昭和62年6月13日)
ご教壇で自分の思いの伝わらないもどかしさが書かれています。

 今度はいよいよ4年生。教材実習「一つの花」。これはいわゆる戦争ものです。戦争ものはどこの会社の教科書にも一つは必ず載ってます。
 この教材の扱いの感想を「一つの花を取扱って」という題で書いた。読んでみっからね。

 戦争時代の体験・記憶がはるかに遠いものになってきた。一つの花の教壇を行じながら、子供の表情を見ながら何度もそう思った。米の飯、おにぎりがどれくらい貴重なものであるか、それをわからせることはもう不可能に近い時代なのである。
 戦争の体験や記憶が痛切であればあるだけ、自分の体験を伝えたい、話したいという意志は強い。日支事変が始まった時は、私は小学校4年生。大東亜戦争では学徒動員で、陸軍第一造兵廠で電波探知機の部品作り。そして終戦を迎えた。毎日が死の恐怖と飢えと困窮がつきまとっていたと言っても過言ではない。3月の東京大空襲・7月の仙台大空襲のどちらも現場で体験した。(中略)
 教材「一つの花」の取扱いの難しさは、私と子供の生活体験の大きな隔たりにあると思う。
 たとえば戦争中の記憶を呼びさます言葉が文の中に出てくる。「戦争」「配給」「お芋」「豆」「カボチャ」「敵の飛行機」「爆弾」「町は次々に焼かれ灰になって」「お腹をすかして」「戦争に行く日」「汽車の駅」「綿入れの防空ずきん」「カバン」「薬」「包帯」「配給の切符」「大切なお米で作ったおにぎり」「万歳の声」「軍歌」「見送り」「にっこり笑って何も言わず」「汽車に乗って」「ヘイタイ」。これだけの言葉を取って考えても、私は作文を書けと言われたら、原稿用紙4~5枚の作文を書けるだけの経験を持っている。いや書き出したら止まらないくらいの思い出が一つ一つの言葉の中にある。
 今回教壇で行じてみて、がっちりと組み立てたつもりの教案が虚しく崩れていくのを感じた。私達の世代だったら「敵の飛行機」と言っただけで「B29・グラマン・ロッキード」と、サーチライトに照らされながら悠々と爆弾を落としていく忌まわしい姿が浮かんでくるのだが、子供達の顔にはそれは全然出てこないのである。
 「生活に落とす」ということが、文章の読みには欠くことのできないものである。それは「文章の中に自分の生活を見る」ことであるが、しかし、「一つの花」の場合は、子供にとっては「そんなことがあったのか」という単なる昔話にすぎない。
 私にとっては「一つの花」はどこを切っても切実な戦争の体験と記憶なのであるが、子供にとっては切実なものが一つも無いということがこの教材の難しさなのだと思う。

                     宮城 T・S

ご意見・感想、ご質問 コメント